日々の生活で感じたこと
研修の中で考えたことなどを
折々に触れてお伝えしていきます
どれも自分
最近、いろいろな方とお話する機会が多かった。
本当にヒトは様々。
考え方、価値観、物事のとらえ方、行動の仕方・・・
様々だなぁと痛感している。
どれも、そのヒトなのである。
そして、対峙する相手によって、私自身も微妙に違う。
どれも、ワタシなのである。

いろいろな自分を外側から眺めてみたりする、今日この頃である。

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空を見上げてみる
とてもよい話を聴いた。
それは、
「人生はループみたいになっていて
 その時その問題は解決しても
 また、なにが起こるかわからない。
 だから、その時その時で対処ができればよい」
かいつまむとそんな話だった。

問題が起こることが問題なのではない。
問題にどう向き合い、どう対処するか・・・
それが大切なんだと思う。

頑張っても成果が出なかったり、報われないことも多い。
「プロセスが大事」 ・・・私の恩師がよくおっしゃっていた。

うつむいたり、かがんでしまいたいことも多い世の中。
今日は犬と散歩にでかけたら、空を見上げてみよう
なんて思っている。


 
13:12 oriori comments(0) trackbacks(0)
「わかりました」 その2
授業が終わるとすぐ、後ろを振り返って
「さっき先生の言ったことって○○ってこと?」
と質問する学生。
「だからさぁ、それは、△△ってことって言ってたでしょ。わかんなかったの?」
と答える学生。
ほほえましく見ていて、質問していた学生に聞いた。
「大丈夫?わかった?」
「はい、わかりました!」
とてもスッキリした顔だったので、わかったんだなと感じた。

わかりやすいように伝えているつもりでも、
そのヒトがわかるようにしかわかってもらえないのだと痛感することが多い。

ある時、ある会社で打ち合わせをした。
後日、会議にかけるために打ち合わせ内容をまとめたのでチェックしてください
とメールが届いた。
添付されていたものを開けて、伝わってないことが多いと思わず溜息が出た。
たまたま、文章化されたから
相手が理解してくれたことをこちらも確認できたものの
こういうことはよくあることだと思った。

わかってもらうように伝えることは難しい。
難しいと承知の上で、伝えるようにするのが大事なのだろう。


13:14 oriori comments(0) trackbacks(0)
「わかりました」  その1
ひとしきり子供にお小言を言ったら「わかった」と一言。
その顔はわかったようには見えなかったので
「わかってない顔してるんだけどな〜」と言った。
しばしの沈黙の後、「だってさぁ〜……」と本音を話し出した子供。
「わかった」の一言で、話を終わらせたかったのだと感じた。

そして、私。
ある時、仕事関係の方にこちらからの問いに対して、長い長い説明を頂いた。
説明はなんだかまわりくどくて、
結局、こちらの問いに対して、相手が何を言いたいのかがよくわからなかった。
いくつか質問してみたが、スッキリした答えは返ってこない。
“聴く”ことに集中してみたが、やっぱり、よくわからない。
なのに私は「わかりました」と言ってしまっていた。
あ〜、やっちゃった!という思いと
もう、いいや!という思いが綯い交ぜになった。
これ以上やりとりをしても、無理だな〜って感じてしまったのだと思う。

いろいろな「わかりました」があると思う。
相手が「わかりました」と言う時、
自分が「わかりました」と言う時、
どんな「わかりました」なのかを感じとりたいものだ。

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